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お家を見に行こうよ

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義母の家の片づけは引っ越しに合わせて計画したが最後の一日であわただしく片づけて残りは廃棄業者におまかせ結局、湯川さんは長野の家の片づけに取りかかった。

新居完成を2か月後に控え、大手住宅メーカーグループの現地土地は建物つきのまま売却することになったので、幸いに、大型家具はそのまま残せた残してもよさそうな家具を見立ててもらいました。不動産部門に、ので、これはラッキーでした義母の身の回りのものや父の形見など名古屋と長野の往復を4回、長野の家の片づけには、引っ引っ越しの1週間前に湯川さんが、さらに残すもの、捨てるものを仕分けた。をまとめ、最後の後片づけをすませた。越しの前日には湯川さんの夫もやってきて、ほとんど新居には必家には驚くほどいろいろなものがありました。
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した」

義母の家の片づけは引っ越しに合わせて計画したが最後の一日であわただしく片づけて残りは廃棄業者におまかせ結局、湯川さんは長野の家の片づけに取りかかった。
新居完成を2か月後に控え、大手住宅メーカーグループの現地土地は建物つきのまま売却することになったので、幸いに、大型家具はそのまま残せた残してもよさそうな家具を見立ててもらいました。
不動産部門に、ので、これはラッキーでした義母の身の回りのものや父の形見など名古屋と長野の往復を4回、長野の家の片づけには、引っ引っ越しの1週間前に湯川さんが、さらに残すもの、捨てるものを仕分けた。をまとめ、最後の後片づけをすませた。越しの前日には湯川さんの夫もやってきて、ほとんど新居には必家には驚くほどいろいろなものがありました。
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今どうするのか
さまざまな理由で売れない親の家!でも空き家問題の解決策はあります空き家問題は、国も積極的に取り組み始めています。自治体や関連団体の支援を受けて家を貸し出す方法もあるし、第2章親の家に移住するという選択もあるのです。
売却以外の選択売れない家を売らずに有効活用する方法

売れない理由はいろいろ!売れない家なら貸し出そうひと口に地方にある親の家が売れないといっても、それは必ずしも売却したいが適切な買い手が見つからないということを意味しない。
生まれ育った家に対する愛着から売却をためらう人は少なくないし、いつかは故郷に戻りたいという思いから生家を残す選択をする人も多い。
もちろんいったん家の売却を試みたものの、適正な評価がされず希望する値段がつかないため、空き家のままにしているというケースは多く、全国的に増えている空き家問題の多くの背景にはそうした理由があるのだろう。いずれの理由であれ、空き家のまま放置しておくのでは経済的にも不都合。空き家でも固定資産税は払わなければならないし、建物を維持管理するための費用も必要だ。
なかなかいい買い手が見つからない物件であっても、借り手は見つかることがある最近では地方の住宅でも、住まい用としてだけではなくグループホームなどの施設として借り上げられるケースも増えている。

いい買い手が現れるまで、あるいは自分で住むまでの間のつなぎとして、親の家を貸し出すという方法も選択肢のひとつだろう。空き家の貸し出しには地方自治体や関連団体の支援もある親の家を貸し出すといっても、借り手さえ見つかればそれでOKというわけでもない。ケとして、親の家を貸し出したものの、そのために気苦労が絶えなかった人の実例を紹介すスる多くの場合、貸し出した親の家は遠隔地にある。
入居者の建物の使い方や家のメンテナンスなど細々としたことは、仲介者である不動産会社に委託するのが一般的だしかし、それでも目が届かないのは紛れもない事実。家主と借家人では、家に対する思い、人れの次元が違う。
実家を貸し出すときには、まず信頼できる不動産会社を選び、後々トラブルや心配事で悩まないよう賃貸借の契約条件をきちんと定めることが肝心だマイホーム借上げ制度この章で詳述する一般社団法人移住·住みかえ支援機構のは、地方公共団体とも連携して行っている家を貸し出す制度だ。
こうした支援サービスを活用するのは、家を貸し出す側にとっても安心材料となるだろう。都会の生活を捨てて地方の親の家に移るという選択によって空き家問題の解決も可能不動産は都会のほうが売りやすいし、貸し出すのも容易であることはいうまでもない。
親の家が売れないのなら、都会のマンションを処分して、地方の親の家に移り住むという選択をし現役世代では不可能な選択だが、田舎暮らした人もいる。セミリタイア世代にとってはは非現実的な話ではない。
ケースでは、セミリタイアをきっかけに都内のマンションから北関東にある妻の実家に移り住んだのだが、夫は週に数日は2時間ほどかけ都内まで通勤している。
土地をリースする場合に親の家の処分は、結いつかは売却したほうがいいが、さまざまな事情から売却がかなわない場合に論からいえば、は、空き家にしたままにするよりも、貸し出す、あるいは自ら親の家に移住するという選択もあると心得ておきたい。

思い出のつまった家を残したい!

家の使われ方や入居者の評判が気になって精神的にくたびれてしまった。小田島恵子さん(仮名)東京都·56歳親の家を残したいからと貸家にしたが貸した家の状態や入居者の振る舞いが気になって疑心暗鬼にある年のこと、貸した家の庭にあった木が勝手に切られていました。

木が枯れてしまって、見栄えが悪いので切ったとか。でも、その切りかたがあまりに手荒くて。また、別の入居者は庭の芝生を勝手にはがしたんです。もしかすると芝が枯れたとか、何かの事情があったのかもしれませんけど、何の連絡もなしに芝生をはがすのは契約違反だと不動産会社に文句を言いましそのころになると実家のご近所での評判も気になり始め、入居者のせいで、た。
貸し手の私たちの悪い評判が立っているのではないかと、もう疑心暗鬼に近い精神状態ですね。
そうしてだんだんと家を他人に貸すことが精神的に負担になってきました都内に住む小田島さんの話だ。両親が亡くなり誰も住まなくなった実家だが、小田島さんきょうだいは家を売る決心がつかなかった。

家が無人のままでは無用心だし維持管理も大変ということで、それで、賃貸物件として貸し出したが、貸したら貸したで気苦労のタネになったという。小田島さんは都合15年ほど実家を貸家にしていたが、佐賀県唐津市にあった両親の家、その後3年かけて売却した。売ったのは2007年、売価は1400万円ほどだった。小田島さんの父親が亡くなったのは1989年の正月、元号が昭和から平成に変わる3日前だった。母親はその4か月前に他界している地元では名士。
小田島さんの父親は事業家で、そのため相続財産も多く預貯金だけで2億円近くあり、自宅のほかにも不動産を大小3つ所有していた。「父は地元の名士であったため、葬儀には大勢の人が集まりました。父が名士であった影響はそれだけでなく、父の死はすぐに町中に知れ渡り銀行の預金などの財産がすべて動かせなくなってしまいました。
父の代からお世話になっていた税理士さんによると、私たちが納めなくてはならない相続税の額は、それぞれ何百万円ということでした。
当時、それだけのお金を自分たちの蓄えから支払うのは、みんなかなりの負担だったので、急いで遺産分割協議書を作ることにしました」小田島さんのきょうだいは、兄と姉、それに小田島さんの3人。

農耕型土地活用

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いずれも実家を離れ、長兄と小田島さんは都内に、姉は名古屋に、それぞれ居を構えていた。そのため3人が一堂に会し話をする機会は、葬儀の直後ぐらいしかなかった。遺産分割協議はすんなりまとまった。幸い遺産分割でもめることはなく、預貯金や生命保険金は3等分、所有不動産のうち一番評価額の大きい土地を姉が、残る2つを長兄と小田島さんがひとつずつ、実家は小田島さんと長兄の共同所有とした。
まだ売りたくないが空き家のままではまずい家をこのままにして貸そう「当時、私はまだ独身だったので、いつか故郷に帰るかもしれないという思いがありました。兄姉はすでに嫁いでいましたが、も同じ気持ちでした。やはり生まれ育った家は残しておきたいと考えたようです」故郷の家には思い出がありすぎて、すぐには売却する気持ちになれないものだと小田島さんは言う。

遺産分割協議書の作成と預貯金の移動、そこまで一段落させて小田島さんたちきょうだいはそれぞれ自分たちの暮らしに戻っていった。

両親が生前のころのままにしていた。この段階では、家具類など一切合切、空き家となる実父が事業をやっていたころに従業員だった人が、家の管理は、近所に住む、ときどき風を通しに来てくれるというので謝礼を払ってお願いすることにした。そこで兄がこのまま空き家初盆を迎え、私たちきょうだい3人は、また実家に集まりました。何かあったらご近所に迷惑をかけると言い出しました。

じゃあ、にしたままだと、どうしよう3人とも売却という決心にはまだ至りません。私もいつか,となりましたが、帰ってくるかもしれないという思いがありましたから、誰言うとなく貸し出そうということに話が落ち着きました300㎡の敷地に、120mほどの築20年の鉄筋2階建ての家屋、これが小田島さんの実家いわゆる地方の閑静な住宅地にあった。だ。

唐津駅から徒歩で15分程度の距離で、まったくわかりませんでしたので、「いくらで貸せるものなのか、不動産会社には相場で貸せれ兄も私も固定資産税分が出ればいいくらいばいいが、多少安くてもかまわないと言いました。に思っていましたから」都内に住む小田島さんにとっては驚くほど安い金額だったが家賃は月額8万円となった。これが地方の水準なんだと改めて地方と東京の差を感じたという。不動産会社からは3か月音沙汰なし。
4か月目に社員寮として借りたいという会社その後、精密部品を作る地元のメーカーで、があると連絡があった。
地方の活性化この会社は5年間借りて出ていっ社員寮として使われた小田島さんの実家には常時3人の社員が住んでいたた。この家族は6年ほど住んだ。次は30代のサラリーマン一家が入居、次に入ったのもやはこの一家もまた3年ほど住んで転居していった。り30代のサラリーマン一家、自身の生活環境が変わったことで故郷の家への思いにも変化があらわれた借主のいない空き家の期間を含め15年、結局、実家は貸家として使われた。その間小田島さんの生活も変わった。そうするとだんだん故郷から遠ざかるようになりました。
「父の死の2年後、私も結婚しました。唐津は福岡市に近いので、両親のお墓は父の実家のある福岡市にありました。お墓参りのあとには、叔父さんの家に立ち寄って実家の様子を見ていました。実家の近くに住んでいる父の弟、でも次第にその回数が減っていきましたやがて2年に1回とだんだんと帰郷の回数は減っ1年に2回戻っていたのが、1回になり、冒頭の話にあった庭の木が切られたのは、そんなころのことだったという。ていく。

亡き両親との思い出のつまった家を大事に使ってくれないことに憤りを覚え、ときおり叔父から聞く何気ない入居者の評判にも心が騒ぐ故郷で自分たちの評判が悪くなるのではたまらない」。そんな思いが年を家を貸したことで、次第に実家を貸し続けることに心の負担が大きくなっていった。
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お墓は買ったもの

狭いながらも楽しい我が家

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地元の知人の紹介で田畑も含めた1000坪の土地と生家の売却が実現(仮名)岡山県·66歳岸本靖夫さん「平屋の古民家だったから買うことにした」お隣の紹介で空き家になった築100年の家を売却「売れるとしても二束三文だと覚悟していましたから、300万円というのは十分な額だと思いました。そりゃあ高く売れるに越したことはないですけど、まあ自分に住む意思はないし、使ってくれる人がいるならそれがいいのかなと」岸本さんの実家の売却が決まったのは、2010年のこと。岸本さんは当時をこう振り返る。実家の隣の造園業の社長だった。その前年に売却話を持ちかけてきたのは、隣といっても数百mは離れているが、岸本さんと造園業の社長は、以前からよく知った仲だ。
「田舎暮らしを望んでいる人がいるんだが、あんたとこの実家を売ったらどうか」電話をかと、けてきてくれたのだ。希望している方はこの地域の出身で、東京に出て商社に勤め、長く海外勤務をしていたそうでその方のご次男が病気療養中で、す。
彼の希望もあって田舎暮らしをしたいということでしたが、岡山県中部、春と秋には雲海が見られることで有名な地域に建つ岸本さんこちら岡山市内に住む岸本さんが、高校時代までを過ごした家であり、の実家だ。
現在、周りには急峻な斜面を利用した棚田が広がっていて、晴れた日には瀬戸内海まで見渡せるという。国道から山道を車で上ること8分の距離だが、それは道が舗装されてからのこと。かつてはでこぼこ道で、雨が降ると大変だったそうだ。戦後間もない1947年に生まれた岸本さんはそんな道を4㎞離れた小学校まで通った。中学生になると学校までは片道3時間の距離。毎日、徒歩で往復したという。
岸本さんの実家は、祖父が独立するときに本家の援助をもらって建てたもの。
分家筋だった祖父は、本家から200m離れた場所に、100坪ほどの敷地に40坪ほどの家を建てた。

1910年代のことである土間、納屋、家畜小屋4Kの平屋という田舎の古民家いまふうにいえば、母屋は4Kの平屋で、それに離れがあるというもの。岸本さんの実家は、母屋の玄関を入るとすぐに土間があり、左手が居住スペース、右手が納屋や家畜小屋などの作業スペースである。居住スペースは、6畳二間に、8畳と4畳が各一間06畳のひとつは食事スペース、もうひとつにはタンスなどが置かれていた。8畳がいわばリビングルームで、4畳との間にある仕切りの障子をはずせば12畳の広間となる。
母屋のほかに6畳と8畳の離れもあり、岸本さんたちが訪れると離れで眠るのが常だった。この実家で結婚式を挙げた。岸本さん夫妻は、親類縁者たちも岡山市内から駆けつけるなど、列席者はおよそ30人。その宴の最中に、ある出来事が起こる。母屋の8畳間の床が抜けたのである。いまでも親戚が集まると必ず誰かがこの話題にふれ、笑い話になるという。

台所の奥には家畜小屋があった。
岸本さんは、昔を懐かしんで言う。昔は牛に引かせて田んぼを耕していました。
私が小学生ぐらいのころまでは牛がいましたね農耕牛だから乳は出ない。でも、ヤギを飼っていたからヤギの乳を飲んでいた。当時としてはわりと体が大きかった身長177,のはそのせいかな。風呂は最初は外にあって、家の中にできたのは牛を飼わなくなってから。家畜小屋のあとのスペースにつくった。風呂焚きがいもちろん、つもの自分の仕事でしたね。薪割りもやりました庭には柿とイチジク、鶏も庭で飼っていた。
アケビの木があり、夏や秋になると、それらの実が鈴なりになった。
少し山を歩けば山菜も採り放題だった。山から切り出したコナラの木に菌種を打ち込み、シイタケの原木栽培も行っていた。

土地をリースする場合に岸本さんは、再び懐かしそうに当時を振り返る。「当時は山にも人の手がたくさん入っていたから、マツタケもよく採れた。一回山に入っただけで、持ちきれないほど採れたものです」つい最近まで水道はなく、井戸の水を引いていた。実家から200m離れた山の中には炭焼き小屋もあった。「どの家でもそうですが、炭焼きもやっていた。
昔はほとんど自給自足でやっていけるぐらい、なんでもそろっていたんです」3か月に1回のペースで帰郷しては空き家の手入れをする手間が次第に負担となる岸本さんが実家の売却を考えるようになったのは、父親が亡くなってからひとり暮らしを続けていた母親が、誰も住む人がいなくなったからだ特別養護老人ホームに入居し、親と離れて暮らす子どもの多くが抱える、今日的問題といえよう。

親が病気で入院したり介護施設に入居してしまったために、定期的に遠路見舞うといった生活を続けている人は少なやがては、必然的に空き家の管理や処分等の問題も降りかかってくる。くない。脳梗塞で倒れた岸本さんの父親は、1990年に75歳でその人生を終えている。以後、岸本さんの母親は、自分で食べるだけの野菜を作り、年金でやりくりする生活を続けていたが、006年に老人ホームに入居。

岸本さんの実家は、誰も住まない空き家になったのである老人ホームに入居するにあたって、母は家財道具はそのまま残し、必要最低限のものだけをホームに持ち込んだ。このころから、岸本さんの心の中では、「いつかこの家を処分するときがくるのかな」という思いがあったという。岸本さんの母親は、その後、循環器系の病を患うなどして、09年に82年の生涯を閉じた。その間、岸本さんは、3か月に一度のペースで、実家の管理のため現地に足を運んでいた「人が住んでいないとすぐに廃屋になるというので、できるだけ実家に帰って掃除などをするようにしました。
もともとすき間風の入る昔の日本家屋ですけど、窓を開け放って、布団を干し6月ごろに草を刈るのが一番大変だったかな。たり、周囲の草を刈ったりね。とにかく、放っておくとすぐに草木で覆われてしまうんです」購入者が気に入ったのは平屋の造りと梁の太さ希望購入価格は坪あたり3000円田舎暮らしを希望していた購入者は、隣の造園業の社長の同級生だった。同窓会で出会いそのとき岸本さんの実家の情報を伝え聞いたという。
「購入希望者は隣の社長と一緒に家を見に来られました。ご家族も一緒でしたね。
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いずれにせよ岸本さんの実家は、希望していた条件にびたリとはまった

岸本さん、造園業の社長、購入者という地元つながりで、空き家を売却できたという典型的なケース。それも不動産業者の仲介案件ではなく、売主と買主の直接取引だった。購入者が出畑をつけてもらって300万円だった。

県·市町村住宅関連補助金

否認する根拠

本来の形式
した買値は、家と敷地、買いたいという人がいるという電話から1年足らずで、100坪の敷地と古民家、(9良の田畑の譲渡が300万円で成立した。1坪あたりに換算すると、00坪)おおむね3000円ということになる何はともあれ売却が決まって、しかし、売却が決まったのは母親岸本さんとしては一段落。が亡くなってからまだ1年、そのため岸本さんの実家は、まだ母親が暮らしていたころのままという状態だった。
購入者も立ち会って片づけ開始古い仏壇は処分古い柱時計や玄関脇にある下足入れ、タンス、掘りごたつ、座卓など、いわゆるアンティークなものは購入者が残すことを望んだ。まったく使われていなかった古釜や鍋も珍しがられた。そこで、本格的に片づけを始めるにあたって、購入者にも立ち会ってもらい、そのはま残すものと不要なものを選り分けてもらった。
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そうして裏山からかつての家を見下ろしてみるといまは新しい住人が畑に野菜やソバを植えるなどして、田舎生活を十分に満喫している様子だという

親·家·片アド,uス田舎にある先祖の墓を移すときの手続きお寺でも、霊苑や墓苑でも、墓地は購入した(する)ものではありません。永代使用権土地の所有権ではないのです。は、お墓は借りるものなのです。
お墓がお寺の墓地にある場合、地域や宗派によって多少の違いがありますが、年会費や管理費などが設定されているのが基本です。金額は1S2万円といったところ。親の死後もお墓をそのままにしておく場合、お寺に連絡をして年会費·管理費の請求先を自分あてにしてもらいます。
檀家である場合は、本堂の改修などで寄進を求められることもありますが、お墓を維持するためには、連絡先を知らせておくことが不可欠です。宗派を問わない霊苑や墓苑の場合も、年会費の請求先の変更を申し出ることになり管理費の滞納が続くと、ます。無縁仏になることもあるので注意が必要です。遠隔地にあるお墓を、自分が住んでいる近くに移す場合はどうでしょうか。

墓地に埋葬されている遺骨や遺体を他の墓地や納骨堂に移すことを改葬と呼びますが、改葬許可申請書当該の役所にを提出し、許可を得たうえで移すことになります。改葬許可証は、移転先の墓地の管理者に提出します。ただし、埋葬してある場所によっては、改葬の手間が異なるようです。宗派を問わない霊苑などの場合は契約書類が整備されていることから、その契約書の規約に従い永代使用権の放棄手続きをするなど、事務的にすむはずです。一方、それも古いお寺にあるお墓を移そうという場合は、お寺、さまざまな手順が必要になります。
お寺にとっては支援者ともいうべき檀家が離れることを意味するのですから、お墓の管理者である住職にワケを話し、まずは、円満な解決を図るのが基本でしょう。そのお寺の住職に供養をしてもらったら、そして、業者などに依頼して遺骨を取り出します。新たな納骨先のお寺でも、そこの住職にお経をあげてもらうというのが一般的です。両方にお布施が必要になるということです。

高校時代の友人が不動産会社をやっていた!

おかげで相場より有利な条件で生家を売却。
関根郁子さん(仮名)千葉県·65歳「いい家を残してくれた親に感謝しなくちゃね」生家の売却に尽力してくれた高校時代の友人はこう言った2002年に81年の生涯を閉じた。
葬儀から3か月、関根さんたちは実関根さんの父親は、家近くの菩提寺に出向き納骨。すでに空き家になって2年以上経過していた実家にも足を運んだことはいうまでもない。はじめて気がついたといっていいでしょう。実家をどうしようか、と。「そのときに、同時に誰かに貸すのもいいし、売り払ってもいいと、あまり感傷に浸るまいとも自分に言い聞かせました」現在の住まいを離れ、故郷に戻る選択肢はなかった。
関根さんにも関根さんの兄にも、こういうとき、頼りになるのは故郷の友人です。地元で「兄と相談し売却することにしました。快く引き受けてくれました。

楽器のできる人を募集中なんです

大きすぎる土地利用

『あな不動産会社を営んでいる高校時代の友人にワケを話したら、駅からも近いからなんとかなるだろう』ということでした」たの家は広いし、買い物にも便利。それを見たところで家がいくらで売れるのか実家の年間の固定資産税は十数万円。ただし、見当もっかない。高く売却できればそれに越したことはないのですが、友人頼みというか、友人の言い値で売っ不動産の売買が活発な地ていいという気持ちでした。そんなに辺鄙な場所ではないとはいえ、区とも思えませんでしたから。兄もそれでいいということでした父親の納骨からおよそ5か月後のことだった。
友人から電話がかかってきたのは、「友人は買い手が見つからなかったら、自分が購入してアパートにしてもいいと考えていたよう美容師をしている子どものためにその親御さんが購入してくれることになり、です。美結局、母屋は古い家屋ですが、道路に面した2階建ての離れ容室に改装することになったようです。というのが決め手になったそうです。
取り壊さなくても美容室に改装できる、は比較的新しく、不動産の仲介手数料は基本料6万円に価格の3%というのが標準だそう価格は1200万円。いい物件を持っていた両親に感謝しなくちゃですが、友人はそれも少しまけてくれました。
と友人に言われました」
母に先立たれた父同居を断りひとり暮らしを続けていたが寂しさからか認知症が進行茨城県でも場所によっては、東京への通学·通勤は可能だが、関根さんは、茨城県出身。太進学と同時に上京した。平洋に近い関根さんの実家からでは通学は無理ということで、結婚から数年後には、現在の地にマンションを購入。以来、今日まで千葉県民を続けている孫も2人を数える。1人いる兄は山梨県在住だ1男1女の母親であり、ひとり暮らしをしていた親が、関根さんの実家が空き家になったのは、介護施設に入居した親が亡くなって空き家になる例も多いが、介護施設への入居によって空き家になるためだ。
先に亡くなったのは母親。ひとり残されたのは父親ケースも少なくない。関根さんの場合は、である結婚。その後、関根さんの父親は3人兄弟の関根さんの両親は、同じ職場で知り合い、一番実家から独立してマイホームを構えることになる。

収入証明書その家こそ、関根さん下だったことから、生家であり実家である。と関根さんの兄にとっては、私が上京してからは、ふたりき「両親は同じ歳。存命であれば、もう90歳を超えていますね。の生活。母親は音楽などの趣味を楽しみ、国内を中心に旅行にも定年退職後は、父親は書道、

よく出かける生活を送っていたようです」そんな生活が暗転するのは1991年母親が病に倒れ亡くなってしまったのだ。母に先立たれた父はひとり暮らし。
近くに住む親戚や近所の方々が食事を届けてくれることもあったようですし、自炊も嫌いなほうではなかったようです。私は月に1回は足を運ぶようにしていました。
何度も千葉での同居を誘いましたが、そのたびに『気ままな生活がいい』と、父が首を縦に振ることはありませんでした一般的に、妻に先立たれた男性の寿命は縮まるといわれる。関根さんの父親は、伴侶なき生活を10年余りも続けることになるが、やはり、異変が起こった。いわゆる、認知症だ。関根さんは、以前にも増して頻繁に帰郷し、父親の世話をした。
山梨に住む兄夫婦にも協力を懇願、義姉も快諾してくれたという。だが、子どもたちの献身的な世話にもかかわらず、関根さんの父親の認知症は深刻化していく体力の衰えも目立つようになってきた。

往復4時間の実家通いを続けたものの自宅での介護は限界!
特養への入居に踏みきるお互い1か月に半分ずつ世話をするために帰郷を繰り返し兄夫婦とローテーションを決め、そんな関根さんたちにも次第に疲れが蓄積していく。ていた、兄夫婦はおよそ7時間である。それぞれの自宅と関根さん関根さんは自宅から往復4時間、の父親宅という二重生活の負担は想像以上に重い。家族による介護が限界になってきたのだ。関根さん自身も、父親の認知症の進行具合に心を痛める一方で、兄夫婦、特に義姉の苦労や負担をひしひしと実感したという。ついには、施設への入居の決断を迫られることになる。
「万一に備えて、私名義の通帳で保管していたのですが、親の預金を下ろし、確認したら500万円程度しか残っていませんでした。兄も私も経済的にそんなに余裕のあるほうではないので有料老人ホームという選択肢はありませんでした。
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関根さんのように、親が元気なうちに預貯金を移し替えておくのもひとつの方法だろう。当初は父親の家の近くで施設を探したのですが、町にひとつしかなく2030人待ちという状態。結局、私が住んでいる周辺で探して、どうにか頼み込んで病院や介護老人保健施設に入れてもらったのです。しかし、入所期限が切られました。短期間で4、5か所を転々とし、ようやく特養に入れたのは千葉に引き取ってから1年後のことでした。

それでやれやれとひと息つけた安堵感から空き家になった家の処理のことなど、まったく思いが至らないほどでしたのです。

親の家の片づけは父の葬儀の1週間後に開始しかし自分たちだけでは手に負えず業者を頼むことに「家を売ることに決め、『なんとかなるだろう』という返事をもらったので友人に相談すると再び実家に戻り家財の片づけに取りかかりました。

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&遺品整理の現場で知る遺言書の大切さ!兄弟は他人の始まりという言葉は、皆さんご存じですよねとても嫌な言葉ですが、昔から広く使われているように、相続時には遺産を巡る兄弟姉妹争いが起こりやすく、一切の付き合いがなくなってしまったという方がその争いが元で、以後、とても多いのです。

うちの兄弟ではまず相続争いなんて発生しないよ。だってそんな遺産なんて呼ばれるような大金なんてないからたしかに、このご遺族には莫大な遺産があったわけではないのですが、私が遺品整理に出向兄と弟はことごとく意見が対立していました。いたころには、金銭の相続争いではなく、遺品整理争い?とでもいうのでしょうか。だったのかもしれませあるいは単なる遺族の喧嘩?んが。
とにかく葬儀や相続のときは普段以上に感情的になりやすく、深刻な争いに発展する,とも多いようですので注意してくださいね。最高裁判所の司法統計年報が興味深いデータを示しています。
平成23年遺産分割の争いによって調停や訴訟になってしまうケースの大半は、高額な相続財産の場合よりも、少額な相続財産を巡ってのほうが多いという事実です。
5000万円以下の遺産分割でもめている件数が全体の76.5%を占めています。驚くことに、相続税が発生するはずもない1000万円以下の遺産で争う件数に限っても3割を超えるのです。が起きるのは、金額の多寡ではないということでしょうか。相続ならぬ”争族”親が生きているうちはお互いに我慢できていたものが、親が亡くなってしまうとダムが決壊したかのように一気に溢れ出す。

気に入らない!という感情や不公平だ!という思いが湧き起こりお互いに意地を張り合ってしまい、後戻りのできないところまで一気にいってしまうのでしょう親が亡くなり親の家を片づけることになった場合、まず確認しなくてはいけないのは亡く故人の希望がどうだったかが遺言書などではっきりしていれば、なった親の希望です。

たとえ複数の相続人がいたとしても争いになる可能性は少なくなります逆に、遺言書がない場合は、子ども同士の争いだけでなく、配偶者や親の兄弟までも巻き込んでしまい、収拾がつかなくなってしまうことも多いのです。

ですから、親が遺言書を事前に書いてくれているかどうかは、とても重要なのです私は相続のプロではありませんが、遺品整理の現場を数限りなく見てきた者として、より実践的な相続についても少しアドバイスさせていただきます。
地方の活性化あなたは、親が遺言書を書いているか知っていますか?いつ亡くなるかわからない親に対して、もし死んだら……といった話は、子どもの立場か親の性格によってもちがうでしょうが、らは切り出しにくいものです。できるだけ親が若く健康で死に対して現実味のない時期から、親子間で話題にすることが望ましいのではないでしょ「何も聞いていなかったので、故人の希望が全くわからない」私どもがお会いしてきたご遺族から、何度も何度もこうした話を聞かされるたびに実感します遺言書の遺言内容は基本的に、相続人が事前に知っていてはいけないので、内容を勝手に読

んだり、書かせたりすることはできませんが、書いているかどうか、その存在を確認しておくことには何の問題もありません。

したがって、書いてあるなら公正証書遺言か自筆証書遺言なのかとか、どこに保管しているを聞いておけばいいのですが、そこまで事前に聞いている家族はほとんどいません遺言書は必要なもので、書くつもりはあるけれど、まだ元気だし、書くのは死期がせまってからでもいいだろうと思い、先送りする人が多いのでしょうか。書かずじまいで亡くなっ結局、てしまう人が大半です。

「『いよいよ俺も最期か』と、また実際に書こうと思うと(私)自分の死について直視せざるを得なくなって、気分が滅入ってしまうのです」という方もいらっしゃいました。

遺言がないことによって起こる”争族”を見かけることが多くなっているだけに、私も遺言書がとても重要なものだと再認識するようになりました。ちなみに、15歳から遺言書は書けるとされており、有効な遺言書と認められます。
「遺言はちゃんと書いておいてね、親に対してできれば公正証書にしておいてもらいたいんとはいいにくいものですが、常日頃からそのようなこともオープンに話ができるくらだけど」いの人間関係を保っておかないと、本当に大変なことに巻き込まれるのはあなたです最近ブームになっているエンディング遺言書はちょっと生々しいのでとおっしゃる場合は、ご近所や親戚、友人の葬儀や相続などを話題にあげてノートを利用して話題作りをしたり、一緒に考えるきっかけにされるとよいでしょう。
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私どもで作成している『おひとりさまでもだいじょうぶノート』無料配布を参考にしていただいてもよいかもしれません、ご希望の方は巻末をご確認ください。遺言書は大きく分けて以下の二つの種類に分かれるのはご存知でしょうか。さて、自筆証書遺言書自分で書き自分で保管しておく遺言書です。
いつでも書ける気軽さと費用が文字通りかからないというメリットがあるため、自筆証書遺.言書を選ぶ人が多いのではないかと思われます自筆証書遺言書も正式な遺言の形ですが、「検認のもちろん、開封前に家庭裁判所に対してが必要となりますので、相続手続きが遅れてしまう可能性があります申立て」本人の書いたものかどうかの筆跡鑑定をしなけはっきりと読めない字であった場合などは、ればならなくなります。

これには30万円前後の費用がかかることも多く、結果的に高くついてしまうケースも多いのです。自筆証書遺言を書く場合の注意点は以下の通りです。親のためだけでなく、相続人になる自分のためでもあるので確認しておいてください。·当然ですが本人が書いたものでなければなりません。、ワープロで作成したり、ビデオなどで録画しても無効です。他人に代筆を頼んだ場合も無効となります。

筆記用具や用紙に特に決まりはありませんが、文字が消えたり、書き加えられたりしないようにボールペンなどで書き、用紙は丈夫なものを使用しましょう。

鉛筆は使わないでください。必ずフルネームで署名します。年月日をはっきりと書き、捺印は、実印でなくても構いませんができるだけ実印を使用したほうがよろしいかと思います·遺言書を入れる封筒は、外から透けないもので、丈夫なものを使用します。封をしたら綴じ日に封印をして、封筒の表に、遺言書を開封する前に、家庭裁判所への検認の申立てが必

としっかりと書いておくことです。
ということや、開封したら無効になる要公正証書遺言書公証人と2名の証人の立ち会いによって作成します。相続事前に本人が公証役場に出向き、遺産分割協議を早く行うことができることから、検認の申立ては不要で、できる発生後のだけ親には公正証書遺言書を残してもらうようにすべきです。

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公正証書遺言書のポイントは、公証役場に頼めば紹介してくれる証人が2名用意できない場合は、免許証かパスポートなどのほか、相続人との続柄がわかる戸籍謄実印、認印、印鑑証明、本が必要登記簿謄本と固定資産税の納税通知書等が必要不動産を相続する場合は、(遺言を内容通りに実行してくれる人)遺言の執行者を決めておくことその人の住民票が必要遺言によって相続人以外の人に遺贈する場合は、相続財産の総額によって料金が変わるが意外に安い自分で勉強すれば十分できるが行政書士や司法書士にも依頼できる(有料)親切に教えてくれます。

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遺品整理の現場で直面したケースを元に、書いておいたほうがよいのでしょうか?アドバイスさせていただきます死後の事務手続きを誰かにお願いしておきたい人相続人が全くおらず、その関係が良好でないと予めわかっている場合相続人が二人以上いて、相続財産を法定相続人以外に遺贈したいと希望する人相続財産がほとんど不動産のみで分割がしにくい場合遺留分を持っている法定相続人がなく、法定相続人が複数いる場合特定の人に事業を継承させたい場合事業主で、前妻との間に子どもがいる場合婚姻届を出していない夫婦の場合行方不明もしくはかなり疎遠な相続人がいる場合

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見つからなければなかったものとなりますので、遺族は親の遺志を確認することはできませんまた、自筆証書遺言の場合、遺言書に書いていない相続財産があったというケースも多く見かけます。そうなると簡単に遺産分割協議が行えず、相続争いの火種になってしまいます。私はそうした事例も少なからず見てきました。つまり公正証書遺言を作成するということが、財産の記入漏れを防ぐことにもなります。親自身が「自分の死後に遺族に何を期待するのか」ということを明らか遺言を残す目的は、にすることです。
自分の死後に、生きているときの自分の意思を代行してもらうための依頼書のようなものです遺言の実行をより確実にするための手段が公正証書遺言なのです。
多少の費用を払ってでも確実なものにしておくべきだと考えれば、死んでいくための礼儀みたいなもののような気もしますが、皆さんはどうお考えになりますか?親家片で覚えておきたいこと--親の兄弟に遺留分はありません毎日のように遺品整理の現場に立ち会っているうちに、遺留分という相続用語が、とても重要であるということに気づかされました。
読者の皆さんは、すでにご存じかもしれませんが私は数年前まで特に気に留めることもなく聞き流していました。

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最大では、相続財産の50%の相続権が保証されています息子には相続させたくないとお父さんがいくら遺言書で示していても、息子が親の死後に自ら相続放棄をしない限り、息子の権利が消えることはありません。事前相談の場面でこの問題に直面したことがあります。依頼主は高齢の婦人でした。息子には相続放棄をするようにいいふくめています。すでに、話は終わっています。

相続を放棄する旨を書いた書類に署名捺印をさせています。実印で捺印してもらいましたから大丈夫でせっかくそこまで準備万端にしたのですが……。実は、その書類はすべて無効ですと、伝えなければならず、私自身が心苦しくなりましたが、そのようなケースが結構あるの

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遺留分減殺請求を家庭裁判所に請求して取り戻すという手順が必要になりまその場合は、す遺留分減殺請求とは「遺留分を侵害された者が、贈与又は遺贈を受けた者に対し、遺留分侵害の限度で贈与又は遺贈された物件の返還を請求すること」なのですが、遺言内容を停止させたり、変更させる権利ではありません。

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遺品整理現場からの訴え-遺言執行者が指定されていないと困るについてご存じでしょうか^”遺言執行者”遺言執行者とは、遺言の内容を具体的に実行したり、認知や財産を管理したり、名義の変更を行う人で、いうなれば、故人が最も信頼した代理人ということになりはす遺言書を書いていても、遺言執行者が決まってなければ実現できない場合もあります。
特に自筆証書遺言の場合は、内容が故人の希望ばかりで、執行者について触れているケースが少なく、遺言書の存在が相続争いの火種になってしまうことも多いのです。もちろん、必ずしも遺言執行者が必要というわけではありません。

相続人がひとりである場執行者がなくとも相続人が遺言通りすべて進めること合など遺産分割を必要としない場合は、になります複数の相続人がいても長男などを中心として話し合いがなされ、円満に遺言が実行さまた、れる場合などは、執行者どころか遺言書も必要としません。
しかし、相続の場面では利益が相反する場合も多く、身内の争いに発展する可能性は否定できませんので、遺言書の記載で執行者を指定しておくことで、相続手続きがスムーズに進みやすくなるというわけです。
遺言執行者が遺言で指定されていなかったり、遺言執行者が亡くなった場合など、また指定

者が拒絶した場合は、家庭裁判所に申し出れば、利害関係人の請求によって別の人を選任してもらえます一般的には遺言で指定されれば、第三者でも遺言執行者となることができます。この場合は当然、報酬を支払うことになります。
さまざまな手続きなどを行い、相続人全員への報告業務かなり大変な仕事に対しての報酬になりはすなども発生しますので、すべての相続人の住所などがわからない場合は、義務を遂行するのが難しくなりますので信頼できるからといって友人などに任せると、かえって迷惑をかけてしまうかもしれません。
利害関係のある遺族からの不満がすべて執行者に向けられることも考えられますので、少しでも問題が生じそうな場合は、やはり親友などに任せることは避け、相続を専門にしている弁護士や税理士、司法書士などを指定しておくほうがよいでしょうねその通りに実現しないと意味がありません。
自分の遺言を書くということは、ですので、遺言執行者を指定しておくことは当然のことだといえますが、実際には指定されていなかったため、大きな相続争いに発展したケースも目にしてきましたなぜ、もめごとを防ぐ準備をしていなかったんだろう?
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